「白いワイシャツ」
ワイシャツはホワイト・シャツから転訛したということだが、つまり、ドレスシャツの基本だと思う。ビジネス用にはやはり白という人がいちばん多いようだが、たいていの人は白が基本というよりも、むしろ面倒だから白さえ着ていれば無難だという考えでしか着ていないようにみえる。
わたしはフォーマル用以外にはほとんど白のワイシャツを持っていない。色無地か柄もの(ストライプかたまには細かいチェック)ばかりである。どうしてかというと、白のワイシャツを印象的に着ようというと、これがなかなか難しいからだ。シャツの白を引き立たせるようなスーツとネクタイの組み合わせには結構気を遣わなくてはならないのだ。白以外は面倒だと思う人とは反対に、わたしにとっては白はかなり厄介なシロモノなのである。いきおいライトブルーのオクスフォードのBDシャツなどをすぐ買ってしまう。
ところが最近、白のBDにあらためて注目している。うまく着るとこれがまた良い。どちらかといえば、タイドアップよりもノータイで着こなすことが多い。軽やかなブレザーに白のコットンパンツ、足もとは白のスニーカできめる。取って置きのカジュアル・スタイルではあるが、いささか目立ち過ぎるきらいもないではない。
紺無地にしろ、グレイにしろ、スーツのときはやっぱり白は難しい。ここはロンドン・ストライプのほうがサマになるなあ、などとつい思ってしまうのだ。もっともロンドン・ストライプなんて云っても知っている人はほとんどいない。白のラインと色のラインが同じ幅、というのがロンドン・ストライプだ。縞のスーツにこのシャツを着て、さらに縞柄のネクタイを締める。パターン・オン・パターンといって、こいつは滅茶苦茶にコーディネートが難しいが、ピタリときまれば最高のお洒落だ。
「ツイード」
地下鉄に乗ったら、まわりはみんなビジネススーツばかりで、ツイードなんか着ている人間はわたし一人なので、あらためてビックリしてしまった。あとは老いも若きも大抵カジュアルばかり、といってもこれはカジュアルというよりも、わたしに云わせると単なるストリート・ファッション系(ファッションとさえ云えない普段着ばかり)なのだ。つまり、現在はビジネス系とストリート系の両極に限定されてしまって、本当の意味でのカジュアルは存在していないがごとき有様なのである。
これではとうていツイードなど出てくる幕ではない。若いヤツに「ツイードって何ですか?」などと今更聞かれても当惑するばかりだ。
「よそ行き」
キモノのむかしから、日本人には「よそ行き」という特別な感覚があったものだ。冠婚葬祭はもとより、ちょっとした催し事などには、いちおう衣服を改めて行く、そのために普段着ではないもうちょっと上等な服が用意してあった。小学生でも式日にはそれを出してきて着せられたものだった。いまは子供にはもちろんよそ行きなどない。
それでも冠婚葬祭には、一応フォーマル・ウェアを着るものだ、という感覚はまだ常識として残ってはいるらしい。だが、その常識たるやはなはだ怪し気なもので、みんなが着ているのを見習ってただ袖を通しているだけという極めてお粗末な感覚でしかない。
何で結婚式に呼ばれると、みんな黒の上下に白い綾織りのネクタイを締めるのか?あれは一説によるとカインドウエアが始めたものだということだ。
わたしはあえてフォーマルの常識を破ろうなどとは思ってもいない。単にインチキな「常識」に盲従するのはゴメンだといっているだけなのだ。特に貸衣装の花婿の装いというヤツにはほとほとあきれかえるばかりだ。上から下まで白ずくめ、モーニングでもなければフロックコートでもない、もちろんタキシードでもなければ燕尾服でもない、実に得体の知れない「ヘンな服」なのだ。何も知らずに唯々諾々とあれを着させられているお婿さんが可哀想だ。
よそ行きの感覚はいわゆるタウンウェアーといっていいと思う。フォーマルではないが、カジュアルでもない。観劇、音楽会、社交的なパーティなどにピッタリのかなりドレッシーなおしゃれ着である。
これをグッとスポーティにカントリー風にしたのが本当のカジュアルじゃないだろうか。ツイードなんていう素材はこのためのものである。穴の空いたジーンズにユニクロのフリースがカジュアルだ、などと思っていけない。わたしだって普段はそんな恰好で過ごしている。
じいさんが何を一人でいきまいてるんだ?といわれそうだが、服装の変化や流行は社会的な成り行きなので、変わって行くのは当然だ。フォーマルな形式がよりカジュアルな様式に取って代わられるというのは服装発展の原則でもある。しかし、知っていてその変化を容認するのと、知らないでただ無神経に着させられるのとでは大きな違いがあると思う。男の洗練された知性と、美意識と、気概というものをもっと自覚して行きたいものだ。
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